こんにちは、たぬきです~
今日5月17日は、ニューヨーク証券取引所(NYSE)の誕生日なのだそうです。
1792年。今から220年前の今日、24人のブローカーがウォールストリート68番街の1本のButtonwoodの下に集いました。
そこで決められた約束は、大きく分けて二つ。
一つが、株式の売買を、ここの集まった面々としか行わないこと。もう一つが、固定手数料です。
この協定は、樹の名前をとってバトン(プラタナス、和名:スズカケ)協定と呼ばれます。後のニューヨーク証券取引所の原型です。
今や年間の売買代金は16兆ドルを超える巨大取引所が、当初は24人、しかも屋外で始まったということも驚きですが、この二つの約束の、永く変わることなく続いたこと!
前者は、取引所への出入りを会員(株主)に限定する形として今も基本は変わりませんし、後者は、1975年に証券改革法が手数料の自由化を定めるまで、実に180年以上も続きました。
すずかけ協定は、要は、自らの業に特権を持たせ、手数料カルテルを組んだ訳ですから、察するに、ブローカーたちの自衛手段として自然発生したものであったと考えます。手数料の自由化は、投資家にとっては悪くない話で、日本でも株式でも商品でも取り入れられています。しかし、ブローカー同士の食う食われるの競争が激化、廃業や合併により投資家が口座トランスファーのたらいまわしに合い、結果商いも細る現状を鑑みると、「一律固定」という概念は、決して悪くなかったようにも思います。
更に言うならば、1975年の米国証券市場改革は、議会の強力な後押しがあったそうです。手数料自由化を含む様々な改革は、市場を活性化させることで企業の資金調達をスムーズにし、オイルショック不況からの早期脱出を促したい意図があったと指摘されています。この流れは銀行にとっても無関係ではなく、銀行は伝統的な資金預り~貸出業務に加え、証券化した金融商品の販売という手数料商人としての性格を強めました。
その結果が、200年の時を経て、複雑すぎる金融商品を生み出し、投資銀行の暗躍を許し、起きたのが、サブプライムローンショックやリーマンショックです。一度は開放を進めた市場を、再び規制で押さえ込もうとしているのは何とも皮肉です。
原点回帰、というわけではありませんが、いっそ、元のシンプルなルールに、プラタナスの樹の下へ戻ったならば…。
市場に政治を持ち込ませず、定行進化を遂げさせたらどのような市場が出来上がるのか、大変興味があります。

こんにちは、たぬきです~今日5月17日は、ニューヨーク証券取引所(NYSE)の誕生日なのだそうです。1792年。今から220年前の今日、24人のブローカーがウォールストリート68番街の1本のButtonwoodの下に集いました。そこで決められた約束は、大きく分けて二つ。一つが、株?... まとめwoネタ速neo【2012/05/18 21:43】